ミックス・テープ

遅ればせながら、文學界で松永さんが連載している、 ミックス・テープを読んだ。

 

 

松永さんの文章は読みやすくて次へ次へと読みたくなるし、なによりも刺さる。この随想録は松永さんの生き様が生々しく伝わった。

松永さんがDJを始めたきっかけ、駒形さんとの出会い、Rさんとの出会い。それだけではなく、ここまで成長するのにどれだけ辛いことがあったか。どれだけの人と関わったのか。松永さんの生き方そのものが文章にされていて、共感できるものもあった。

第1志望に落ち、着るはずのなかった部制服に身を包み漠然とした不安を抱えながら高校生活を送っていたと綴ってあった。

実際私も第1志望に落ちた側の人間だ。松永さんが言っていたように全員が敗北者に見えたし、意気揚々としている奴は眼中になんて更々無かった。ただただ、ああどうしよう。中学生の頃の友人にどう言い訳をしよう。そればっかり考えていた。

高校生活は想像していたものとは全く違ったし、SNSを見て周りの人間と自分を勝手に比べて勝手に劣等感に苛まれることもあった。

 

松永さんは高校2年生になった頃に、転々としていたバイトの余った給料でなんとなく初心者用のDJセットを買った。 

そこから松永さんはDJに没頭し、今まで悩んできたこと全てがどうでもよくなった。

段々とDJをやりたいという気持ちが強くなって学校をサボるようになり、最終的にはDJをやる為に退学をした。

いつからか趣味から本気でこれで食っていきたい、そういう気持ちに変わっていった。

 

当時の松永さんにターンテーブルがあったように、私にはラジオがあった。Creepy Nutsオールナイトニッポン0、佐久間宣行のオールナイトニッポン0、オードリーのオールナイトニッポン三四郎オールナイトニッポン0など、いつの間にかラジオは私の心の支えとなっていた。

ラジオを聞いている時が本当の自分だし、ラジオを聞いてれば悩みなんて心底どうでも良くなった。

 

ミックス・テープを読んで、松永さんが世界一になるまでどれだけの努力をしたか。どんな気持ちを抱えてターンテーブルと向き合ってきたか。松永さんの気持ちが肺腑にしみ通った。

松永さんはずっと私の尊敬する人間だな。と改めて感じた。

 

 

そうして私たちはプールに金魚を、

私は最近、キラキラした女子高校生って何?と疑問に思っている。

私は小学生や中学生の頃、物凄くキラキラしてて笑顔に溢れてて、女子高校生っていいよね、と言われるような高校生活を理想に抱いて、溺れていた。

そして私は今、女子高校生だ。違う。何かが違う。理想の高校生活ではない。正直そう思っている。

だがしかし、そう疑問に思う中である映画に出会った。

そうして私たちはプールに金魚を、 

そうして私たちはプールに金魚を、(そうしてわたしたちはプールにきんぎょを、英題:And so we put goldfish in the pool.[1])は、2016年の日本映画。長久允監督。第33回サンダンス映画祭ショートフィルム部門のグランプリ受賞作品。

この映画は埼玉県狭山市で実際にあった事件を映画化したものだ。事件、と言っても私からしたら微笑ましい事件である。

私はこの映画を見て、私の日常と何か似たものを感じた。くだらない会話とか、愚痴とか、田舎すぎる所など、似ているのに何故かキラキラしている。

そして私は思った。傍から見たら、私たちの日常もキラキラしているのでは?と。皆でくだらない会話で爆笑して、先生にうるさいと叱られ、あの人かっこいい、とか彼氏欲しいとか、そういう会話こそかけがえのないものなのでは?と思ったのだ。

私は期待しすぎていたのだと思う。大きな理想を抱きすぎて、今の生活に嫌気がさしているのだと思う。変に着飾らない、クソみたいな日常が1番いい。

そしてまたこの映画を大人になってから見返して、ノスタルジーな気持ちになるのだろうか。

 

 

 

私の好きな季節は夏だ。その理由は"音"が好きだからだ。

私は、"夏の音"が好きなのである。

蝉の声、風鈴の音、扇風機の音、テレビから聞こえる甲子園の声援の声、夏には様々な音がある。

個人的に春夏秋冬の中で一番、音が沢山ある季節だと思う。

もう1つは、夏の空気が好きだから。ムワッとした外の空気もわりと好きだ。だが、その後に涼しい部屋に入る感覚や空気もとても好きだ。冷房の機械っぽいスーッとした匂いと空気が身体の中を巡っていく感じがとても好きだ。